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小倉監督解任について

名古屋グランパス 名古屋グランパス-その他

8月23日、小倉監督の休養を知らせるプレスリリースが発せられた。遅きに失した感のあるこの策は、吉と出るか、凶と出るか。

 

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休養、事実上の解任である。この出来事をどの様に捉えればいいのか。

 

去る日に行われたサポーターズミーティング。小倉は絶対に代えない、議事録にはこの意の言葉が頻出する。これは「嘘」というよりも時間稼ぎの「方便」だったと捉えるべきだろう。もちろん今回の「休養」という言葉も同じである。

 

このクラブがサポーターをどう見ているのかを如実に表した出来事ではあるが、この大き過ぎる問題はいったん置く。一言だけ言えば、このクラブは少し政治の臭いが強い。逆に言えば、松岡修造的な暑苦しいまでの熱が足りない。

 

話を戻す。そもそもジュロヴスキー招聘で明らかではあった。2ヘッドコーチ体制など、どう扱っても組織を惑わせやすい。のちの展開はほぼ描かれていたと考えていい。

 

もちろん小倉体制での立て直しが奇跡的になれば、それはそれでジュロヴスキー招聘の手柄とすればいい。

 

どちらに転ぼうが、この策の功罪を責任者が取る必要はない。功も罪も曖昧で責任を取りにくいと言ったほうが正しいか。この曖昧な策は、如何にも政治屋的、もしくは企業人的な発想に見える。

 

心理療法的監督交代

しかしタイミングはどうだろうか。明らかに逸しているように感じる。立て直すにはあまりに時間がない。

 

であれば、この監督交代は心理療法だと捉えるしかない。新たな監督が何かを変えていくには時間がなさ過ぎる。なぜ監督が交代するのか、その意味を選手一人ひとりが受け止め、いま一度困難に立ち向かうメンタルを取り戻す。あくまで選手が自ら変わる他ない。そう考えると一面ではこの監督交代はプラシーボ効果みたいなものかもしれない。

 

それはそれでいい。が、監督交代というカードを近視眼的な効果のみで使うことには、やはり素直に賛同しにくい。小倉監督の就任が戦略であったとするならば、ジュロヴスキー新監督のそれは、戦術であると対比できる。このカードの切り方であれば、誰が監督であっても変わらないという捉え方もできる。

 

何も常に監督交代は長期的にすべきである、と言っているわけではない。改革元年と位置付け、極大な権限を持たせた上で新人監督である小倉体制を肝入で発足させた。それが結局のところ、ポーズでしかなかったと言うことに失望している。

 

小倉は絶対に代えない、という言葉は方便であるべきではなかった。仮にJ2落ちてでも全力で支える、それが筋ではあった。が、シーズン開幕の改革元年も所詮はスローガンでしかなかったことが分かり、その時点から既に今のシナリオは始まっていたのかも知れない。

 

何にしても圧倒的に熱量が足りないということだけは言える。やはりこのクラブの半端な政治臭さ、もしくは企業臭さは永遠になくならないのかもしれない。サポーターの報われ無さでは上位に位置するクラブであると断言もしたくなる。

 

あとがき

新監督の初戦までには考えをまとめておこうと思って、若干乗り遅れ気味ではあるものの記事にしました。

 

なんだか茶番感ハンパねーっすが、闘莉王復帰はそのシナリオとしては大変上出来だと思います。いや、皮肉ではなく、やるなら徹底的にと言う意味で正しい。監督交代からの一連の心理療法と捉えれば、割り切った上策に思えます。

 

まあ、実際はそんな突き抜けた作戦ではなく、新監督が仕事をやりやすくするために呼ばれただけなんだとは思いますがね。

 

さて、本日FC東京戦。いずれにせよ、変化を期待したいですね。

 



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