ロシアワールドカップ アジア最終予選 グループB 第3節
【記事概要】
6分という長大なロスタイム、山口蛍の一撃で何とか日本は勝利を得る。が、この日本代表は強くもなんともない。これはアジアのレベルが上がってきている、という言葉とは議論の次元が違う。
いったい何が日本をこうまでした。そしてどうにも感じる既視感。そうか、これは醜態を晒し続けた名古屋の姿に近い…
フォーメーション&試合結果
日本代表 |
1-0 1-1 |
1 |
イラク代表 |
ヤバいチーム
不穏を抱えていると言っていい。しかも、ひとつの勝利で降ろせるほど、あっさりとした生易しさではないらしい。
この一戦、動きは追い詰められたチームそのものであった。そしてそれは随分と色濃い。最も顕著な例を挙げれば、選手が頑張りすぎるほどに頑張っているという事実であろう。その懸命さが強ければ強いほど、良くない。
もちろん懸命さ自体が悪いという話ではない。その努力が、とにかく組織に還元されないということが悪い。闇雲に繰り出される努力は、ベクトルが調和しないという意味で害悪だと言っても言い過ぎではない。
底辺でもがく名古屋グランパスで幾度も目にしてきた光景でもある。今季の名古屋を経験したことで「ヤバいチーム」を嗅ぎ取る鼻だけは大きく成長したと断言できる。なんとも皮肉なことではあるが、いちサッカー観戦者として得るものはあったと言えるのかもしれない。もちろん、苦しみに相応しい対価であったかどうかは、存分に議論の余地はある。
話が逸れた。日本代表の話をしていた。まさか日本代表の、しかもアジアでの戦いにおいて、こんな既視感を得るとは想像だにしていなかった。素直な気持ちを話せば、そうなる。
方角
個人の努力が組織に還元されない。それは選手の顔の向きがバラバラであるとも言える。それぞれがそれぞれの考えのもと、良いと思う方角を向いている。が、組織としての力は個の力を一点に集中させるからこそ強度を増す。同じベクトルを結束させるからこそ乗法となる。
何の競技、何のプロジェクトであれ、組織でことを進める限り、個々は同じ方角を向いているべきである。が、当然それが難しい。そんなことは周知ではあるが。ましてやサッカー日本代表チームという負荷の大きい仕事である。求められる組織の強度は生半可ではないと想像できる。
この問題は、システムや戦術といった表皮の部分ではなく、どちらかと言えば、血となり、肉となり、骨となるような、もっと根本的な部分の弱さに思えてならない。どのような目標を持ち、どんな気持ちで挑んでいくのか。
もちろん、どのような目標を持たせ、どんな気持ちで挑ませていくのか、という見方をすれば、監督の仕事が巧くいっていないとも言える。
ザッケローニ以降
振り返れば、ザッケローニ時代、日本代表が同種の問題にぶつかった記憶は薄い。日本代表は同じ方角を見ていた。
バルセロナという革新、その革新が日本に合うかのような幻想、ジャパンマネー目的ではない海外組の増加、そしてその選手たちのパーソナリティー。
おのずと同じ方角を向ける空気があったと言う方が正しい。ザッケローニという監督の手腕が小さいとは言わないが、時代がそうさせたと見た方がいい。
が、その結束が強すぎたが故に今の状況があるとも言える。本田、長友、川島、長谷部などは、極論すれば残滓であり、今ここにあっては困難の原因でしかないのかもしれない。
ハリルホジッチは血や肉や骨に関しては独自のものを定着させていない。それらは古いものを再利用し、どちらかと言えば表皮のみを綺麗に磨き上げてきたように見える。
もちろん全てを入れ替えずらいという気持ちも理解できなくはない。スクラッチアンドビルドには大きな批判というリスクが常に伴う。結果が出る前であっても強風だし、失敗すれば暴風となることは明らか。唯一、明確な成功のみが壁となる。
が、大手術をせず失敗するぐらいならば、もはや大手術をして失敗する方が既に良い。清武、原口の台頭がその呼び水になるか。結論は遠くはない。
あとがき
名古屋グランパスそのもの。うまくいかないチームというのは似た空気を纏うものですね。
改革は必要なように思います。が、歴代の監督を見てもきっかけがなければ、難しいのかもしれない。トルシエも、ジーコも、岡田も打ちのめされた後に大きな変化がやってきました。
ワールドカップに行けないことは論外ですが、中途半端に勝つよりも、手痛い一敗が必要なのかもしれず。オーストラリアに3-0ぐらいでやられれば、モデルチェンジも可能なんでしょうかね。
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